はじめに断っておきますが、僕は釣り人として、このブラックバス害魚問題に関して、世間の風潮に異を唱える者です。
なぜなら、最近は「元の生態系こそが正しい」「在来種保護」という論調こそがフェイクの上に成り立つ話であると気がついてしまいました。
ですから、ブラックバスを悪とする論調に違和感を覚えています。
その理由を説明していきます。
生物多様性を脅かすとは何のことか?
世間的に、生物多様性を脅かすからブラックバスは悪という論調があります。
しかし、この生物多様性という言葉こそがフェイクがかった言葉であると気がつかなくてはいけません。
生物多様性があり、様々なステージの生物が存在し、生態系が出来、それが人間生活の基盤になっているという説明が一般的ではありますが、それなら人工的に全て作ってしまい人工物が人間生活の基盤になっていれば大丈夫という逆転の発想もOKになってしまい、そう考える人の意見が強くなる可能性だってありますよね。
そうしたら、自然保護派の人は本末転倒では無いですか?
「外来生物で生物多様性が・・・」「侵略的移入種(外来種)・・・」なんて発言が続いているようなら、自分で調べ、考えるという思考が欠落しているかもしれませんよ。
その定義の本質を探らなくてはいけません。
つまり、科学的な根拠となる「生物多様性とは何のことか?」を説明出来ないまま、この問題の前提とされてしまっているのが一番のツッコミどころなのです。
もし、人間を自然の一部としないでこの害魚論を語るのであれば、まず前提となる「生物多様性」について説明しなくてはいけません。
これは本質的にはロマンチックな、宗教的な概念が作り出した自然保護という概念から生まれたものであり、科学的にはわかりにくいとされています。
どうしてかと言えば、生き物多様性とは遺伝子レベルから景観に至るまであまりに広すぎる概念だから。
つまり、これを持ち出し、論じようとしている時点で個人の見方や好き嫌いやエゴと科学を混同していることに他ならないからです。
せめて言うならば文化的側面でしょうか。
さらに言えば、こうした生態系保全分野を扱っている学問は〇〇工学といわれることがほとんどです。
大学でも海の浅瀬保全活動をしている教授がいましたけど、他の教授がカゲで「原因もわからないのに、保全も何もないでしょ…」と言っていたことが印象的でした。
つまり、これらの保全活動の前提となる〇〇工学という研究分野は原因を突き止めるというよりも保全活動のノウハウを研究しているのです。
確かに原因がわからないのに、保全も何もあったもんじゃないと思ってしまいます。
これらは商品開発と同じようなプロセスで組み立てられることが多く、まるで企業の論理を研究に持ち込んでいる状態なのです。
少し違和感があるのは僕だけでしょうか…
話は戻り、僕は人間は自然の一部であるという考えですが、害魚論を語る人は頑なに「人間は自然の一部ではない」としています。
※東京大学名誉教授の養老孟司先生は「ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?」という著書の中で人間は自然の一部であるとはっきり述べられています。
「自然とはああすればこうなるが成り立たない世界」なのです。
倫理的な面も含め、高度な話となる生物多様性の前提について説明できる人はコメントください。
外来種の中で、地域の自然環境に大きな影響を与え、生物多様性を脅かすおそれのあるものを、特に侵略的外来種といいます。
環境省が発信しているから正しいとは思わない「疑う」ということが大事です。
物事を疑い本質を追求する思考をクリティカルシンキングと言いますが、こうした思考は釣りにおいても役に立ちます。
矛盾だらけの害魚論
現在もブラックバス=悪であるという論調が強まり、掘り返され、ネット間でも日夜投稿やコメントのやりとりがされています。
※バス釣りする人のモラルが悪いのはその人が悪いです。
バサー(ブラックバスを釣る人)と釣り業界以外にブラックバスの利用価値が無い訳ですから、世間の風潮は強くなりがち。
そう言えば、〇〇大学在中とか〇〇専門家なんて人の発言にも注意が必要で、彼らは論文を書くときと同じように論理的な話をしてきますが、全て自分の正当性を主張するものばかりですので注意が必要です。
※原発問題でもそうでしたが、学者だからと無条件に信用するのはよくないと思っています。
複雑な生態系を単一的に語ることなどできやしないのです。
※僅か数シーズン程度釣りをしただけで魚のことや生態系のことがわかるほど自然は単純ではないことを知っているのは釣り人だったりしますね。
根絶させたいと躍起になり色々模索している人もいますが、結局時間だけがすぎて根本的な解決になっていません。
過去の河口湖のようにブラックバスを利用する柔軟性が必要だと思います。
そもそも、外来種を駆除して元の自然に戻すということは元の自然の姿や働きを知らなくてはいけませんが、外来種が入った新しい生態ですら謎のままで、元の自然に戻すことなど難しいと思うのです。
傲慢になってはいけない!複雑な生態系を我々は知らなすぎると思います。
(種間の競争や捕食や寄生関係、エナルギーや栄養素の流れなど)
琵琶湖をブラックバスのいない健全な姿に戻すと言って駆除活動されている方々もいますが、琵琶湖の健全な姿とは誰も知らないのが実態です。
どういう生態系だったのか、今となってはハッキリとはわからないはずなんです。
日本の美しい環境を守りたい、いつまでも続いて欲しいと純粋な気持ちで駆除を推進している方々、組織もあります。
その気持ちは痛いほどわかります。
懐かしい風景を守りたくブラックバスは悪いという気持ちもわかります。
しかし、それなら今の若い人たちの懐かしい風景はバスのいる世界ではないか?とも思います。
生物が好きで研究している人もいれば、風景や自然そのものが好きな人、色々な人がいます。
その中に外国から変な魚が入ってきたという情報がはいれば攻撃したくなる気持ちもわかります。
自治意識が高い人も多いですよね。
でも一旦冷静になり考えて頂きたいのです。
もうすでにほとんどが人間が手をつけてしまった自然でしかなく、過去の自然、自然発生した自然とは幻想でしかないはずです。
また、外来種によって、捕食された生き物は減ることは確かです。
海でも川でも一緒ですよね。
でも反対派の中に生物学を知っている人なら、食われた生物はまた増えるという当たり前のことを知っている人はいるのでしょうか?
また、在来種も必ず捕食者が現れれば対応しそれに抵抗した生き方をするものです。
ブラックバスが在来種を食い尽くすという点にばかり過剰なほど焦点がいきすぎています。
(ブラックバスにより、在来種が全国的に絶滅した例はないのです)
ブラックバスが魚を食する事を食害と言い張り、在来種を食い尽くすと言うのが駆除派の言い訳では有りますが、それは人を含めた生き物に一切食事をするなと言うに等しい愚かな行為です。~中略~
元々ブラックバスを含め、すべての生き物には自然の調整機能が有ります。
どのような生き物でも同じ種がいないまたは少ないところでは集まったり、爆発的に子孫を増やしたりする性質があるため、一時的に繁殖した様に見えます(駆除派はこの段階を見て大騒ぎしているにすぎないのです)。
その後は、増えすぎた種はアポトーシスが進み、減りすぎた種は後を追うように多くの子孫を生み出すことにより食物連鎖を安定させる形で安定するのが本来の形です。~引用終わり
生き物を侮ってはいけませんよ、人間が大嫌いなゴキブリでさえもどんだけ殺虫剤や重曹で殺されても毎年、どこからともなく増えるんですから。
僕は外来種のことよりも、人間側の大規模開発などによるコンクリート化、最近だとミツバチの大量死に繋がっている農薬や枯葉剤などの化学化合物にによる自然汚染の方が圧倒的に生態系を崩し、生物の生死を脅かしていると思います。
僕の地元では小さな頃にはあれだけ空を覆い飛んでいた赤トンボが今となっては1匹もみられないことの原因は田んぼへ流れる農薬の成分による物が原因であると確信しています。
根拠不足なブラックバス害魚論
今ではかなり値段が上がっていますが、ブラックバスやブルーギルが湖沼に影響を与える結果を記載した本があります。
ブラックバス・ブルーギルが在来生物群集及び生態系に与える影響と対策
これは環境省がらみの発行となる書籍で、この本こそがバサー側が攻め立てるための重要な一冊になると思っています。
なぜなら、ブラックバスやブルーギルが湖沼などに侵入し、定着したことに関する影響という部分は200ページ以上ある本にも関わらず10行しか記載されていないのです。
それもどのような影響を受けているのかの記載はほぼありませんでした。
「ブラックバスが来てから生命感がなくなったのをたくさん見て来た」なんて言っている人もネット上にいますが、その人に具体的な地域と場所を教えてもらった方が良いです。
研究場所ができますよ!
また、宮城県にある伊豆沼という場所がブラックバス反対派の各書籍で引き合いに出されるのですが、ほぼ論文読むのも素人の僕が伊豆沼に関するデータを読んだだけでも不思議な点があまりに多く、根拠として乏しいデータとしか言いようがありません。
決定的なのは「ブラックバスが出現後の時期の在来種のデータがない!」というのだから、あまりに説得力のない話なのです。
ブラックバス駆除派・反対派にとって不都合なデータなのか?と疑ってしまいます。
侵略的移入種という決めつけ
SNS内で「侵略的」なのが問題という指摘をしている方がいます。
しかし、その侵略的移入種とされた生物が「なぜ、侵略的なのか」説明できる人はいるのでしょうか?
僕が調べた限り、何をもって侵略的とするのかが曖昧、ますますブラックバス反対派こそが感情的に流され、政府が言っているから、周りがそう言っているから、と思考停止しているだけの人に思えてなりません。
なぜならデータをとり「侵略的」と判断するまで数十年単位とされ、かなりの時間がかかるからです。
それにこれらの定義は曖昧、都合の良いようにいくらでも好き放題定義づけできるのが現状なのです。
時間がたって十分なデータが無いにも関わらず、この種は在来種を捕食するから侵略的移入種と決めつけしているのは誰なのか、よく考えてみてください。
外来種の中で、地域の自然環境に大きな影響を与え、生物多様性を脅かすおそれのあるものを、特に侵略的外来種といいます。
外来種の問題点は様々あり、人間の生活に即座に害を及ぼす生物もいます。
しかし、ブラックバスに関してはまるで、マインドコントロールのごとく大々的に宣伝されていますよね。
これが、例えば2019年夏にドイツの森林が減少しているというニュースが出ていて、そうした本当に深刻な問題であればすぐに対応が必要です。
原因は「木食い虫」で森林が減り、動植物も減り、森林が少なくなることで酸素も減り、長期的に見れば、間違いなく人間生活に影響するという大問題であれば話は変わります。
木食い虫に関する何らかの対応が必要です。
しかし、ブラックバス問題は明らかにそうした国家危機レベルの話ではなく、人間に直接被害を及ぼすほどの話でもないのです。
むしろ、バスが日本にきてもたらしたのは「創造」ですよ。
バス釣り業界を発展させ、ルアーフィッシングが発展し、ソルトルアーを創造し、経済や人々の人生に大きな影響を与えました。
歴史を振り返れば多くの若者に夢や希望を与え、多くの「ドキドキ」を生み出しました。
問題となっている琵琶湖では漁師の代わりにブラックバスの釣りガイドが栄えましたね。
どれだけの人が熱中したでしょうか?
全ての日本のルアーマンの原点的な生き物なのです。
これを創造と表現せずに何と言うのでしょうか?
この点は元の在来種だけでは生まれなかったはずです。
ブラックバスのように固有種を捕食し増えたから侵略的というのも変な話ですし、生態系が機能しなくなっていたり、生態系の機能不全があるということでもありません。
※もし在来種を食べて増えたから侵略的とするならば、生態系のバランスが崩れるたびに増える捕食者は全て侵略的とされてしまいますよね。
となると最後に残るのは「外国からきた生物だから」というもの。
少しお瑣末な定義づけな気もしますよね。
絶滅した種も何十年たっても未だに無いのです。
(お粗末なデータを載せている本や論文では絶滅したことになっていますが)
現状、生態系の隙間で固有種と共存している可能性の方が高い訳です。
「バスが悪い」と知っている口調でSNSで発言している人があまりにも多い気がします。
外来種によって、生態系を元気にした例もありますので一概に外来種=悪であるという考えは短略的であります。
もし、これを人間に当てはめてしまうと単なる差別になってしまいます。
人間社会がグローバルになっていく過程で、外来種の問題も大きくなってしまいました。
つまり、人間がグローバルに動いていく時代の中で外来種問題が増えてきた歴史がある訳で、外来種の問題だけでなく人間社会の仕組み自体を根本的に戻さなくては結局変わりません。
でも、今更鎖国はできないでしょう。
一度グローバル化したら元に戻すのは難しいように外来種を排除する、駆逐するという発想も難しいと考えざるを得ません。
グローバル化が進み、日本では外国人労働者問題というのがありますが、外国人の労働者が増え、人数が増えていく中で彼らの主張も強まり、かつ人権問題というのが出てきます。
しかし、ブラックバスにはそうした人権問題がないため、いつまでたっても痛ぶられ続け、駆逐され続けるのです。
もっと怒っても良いですよ。
「密放流=バサー」は短略的な考え
「ネットの普及で密放流について明らかにされた」なんてコメントがSNS(ツイッター)で見受けられますが、基本的に密放流が行われていた事実はあります。
それも過去の釣り業界が組織ぐるみでやっていました。
でも年を追うごとに各地に出現しているブラックバス。
野池にいつの間に生息しているブラックバス。
これについては、実際の水辺に魚がいるので昔から行われている密放流で間違いなく、業界がしているのか、個人がしているのが現在の状況はわかりません。
しかし、密放流は最初は組織的に行われていたのです。
ですので、個人のバサーが密放流したのは、組織的に密放流され広がった後になるんです。
この国は法治国家であり、密放流をするのは法律上、悪人のすることです。
決していかなる理由があってもしてはいけませんよ!
また、この密放流については色々深く調べてみるつもりですが、ほとんどのバサーが純粋な気持ちでバス釣りを楽しんでいるだけで、密放流してやろうという考えを持っているのは一部の悪意のある人だけだということを忘れていけませんよ。
例えるなら、一部の悪意の持った人とはオレオレ詐欺みたいなもので、取り締まっても結局新しい手口が出来、イタチごっこが続くだけだと思います。
日本人は元々生き物を大事にする精神を持っている
日本は純日本人が多い印象を受ける人もいるかもしれませんが、元々日本という国は多民族国家です。
北海道のアイヌ人や沖縄の琉球人、中国地方、九州地方でそれぞれ違う民族から成り立っています。
つまり、大昔から他民族を受け入れ、調和、まさに和の精神をもっていきてきた素晴らしい国でした。
しかし、昨今の害魚問題にはそうした和の精神は全くなく、悪い奴は殺せば良い、駆除しろ、とまるで生き物をモノ扱いしています。
話は現代社会にも通じるものがあり、昨今の働き方や労働問題、社会問題の本質は、「人々をモノ」や「部品」のような扱いをすることから始まっていると気がつかなくてはいけません。
正社員と同じように働いていても、その7割から5割しか給料が支払われない派遣社員はその典型です。
日本人の多くは農耕民族であり、犬や豚や牛などと協力して、生活してきています。
全てに神仏が宿るという神道の考えを持っている世界では唯一の民族なのです。
これは日本人が全く気がついていない日本の素晴らしいところです。
一言で「和の心」とでも言うのでしょうか。
16世紀からの西洋の歴史は、民族の虐殺や弾圧など、植民地化の歴史です。
(オランダ→イギリス→アメリカへと覇権はうつる)
冬が長く乾燥地帯であるため、農業が難しい地域で他の地域から奪うことでしか生き残れない背景がありました。
彼らはキリスト教という一神教を崇拝し、白人以外は人間ではないという思想を強く持っていました。
※これも当時の時代背景を考慮し、作られた思想であると思われます。
やはり、根本的な思想が違うため犬や豚や牛を家族のように扱わない文化なのです。
日本のように、釣り対象魚として魚に愛情を持ち、接する文化ではないのです。
今、行政やブラックバス反対派の言っていることは、西洋の狩猟民族の考え方であり、古来の日本の水辺を守るという建前で、虐殺と変わりないという見方もできます。
本来の日本人の持つ和の精神があったからこそ、多民族がまとまりを持って日本は成り立ってきたのです。
これは、歴史上の事実として紹介されています。
だからこそ、ブラックバスは環境の悪者だからという根拠の乏しい話で、日本人として虐殺という名の駆除をしても良いと考えて欲しくはありません。
隔離し管理しながら自然に減っていき安定するのを待つべきです。
琵琶湖を守るために活動されている方々の苦悩や苦労話、お気持ちもわかります。
琵琶湖という古来からの貴重な湖を守りたいという意思は痛いほどわかります。
それでも、人間が勝手に曖昧な定義をし、悪者だと決めつけ、イタズラに害魚だと煽り、生き物を虐殺する行為を肯定出来るものではないです。
この問題は前提とされる生物多様性という言葉が極めて曖昧で、結局は議論議論!と言いつつも、感情論がベースになっています。
その上に都合の良いように解釈された定義が存在し、今日もまた駆除に税金やお金がかかっているのです。
彼らは定義を勉強しろなどと言っていますが、定義なんて都合の良いように解釈され、ブラックバスが悪に仕向けられるようになっているのです。
環境省が認定した特定外来生物ですから悪者でなくては困るのです。
今の外来種の定義は明治以降とされているため、過去数千年に渡り、人間の手で運ばれた外来種はなかったことにされているのが現状です。
琵琶湖に関しては税金も投入し、駆除を推進していますし、地元を愛する方々からバス釣り人の苦情があったり、ブラックバスという魚やバス釣り人は攻撃の対象になっています。
そういう地域であると理解して、釣りに行かずにそっとして置いた方が良いのかもしれません。
僕はこうした活動を熱心にしていて、それも駆除に税金を使っている地域である琵琶湖は釣り場ではないと思っています。
結局ここに行き着く!「お金が絡む問題」
ほとんどの環境変化や自然破壊、生態的な問題について行き着く地点は資本主義という考え方です。
※資本主義とは元々狩猟民族の論理であり、日本人は戦後この考え方に染まっていくことになります。
みなさんは生まれてからお金がなくては生きていけない社会に生まれましたね。
この資本主義は素晴らしい物やサービスをこの世に作り出し人間を豊かにしてきました。
しかし、その一方で地球規模での環境変化は資本主義社会における人間の活動そのものが影響しているものと考えられます。
ブラックバス問題の原点も結局はお金という部分とアメリカ思想に行き着くのではないか、と最近強く思います。
「侵略的移入種」と決めつけられ、税金が投入され駆除が行われているのも利権を得るために何かをターゲットにしなくてはいけないという発想から来ています。
その対象がブラックバスだったということです。
ブラックバスは生物多様性保全という言葉を用いて、国から予算をもらうための利権に使われた魚だということです。
それにテレビやマスコミが乗っかり、世間的なブラックバスの大バッシングに繋がっていったものだと考えられます。
外来種駆除という市場があれば話は別ですが、使われているのは国民の税金です。
本当の悪は見えないものですよ・・・
彼らは色々な刷り込みをしてきますから。
そして、フェイクの上に塗り固められた「元の生態系こそが正しい」というのは幻想でしかないと気がつかなくてはいけませんね。
日本人の本来の精神性を紹介したのも、今現在、害魚論や外来種問題に声を上げている人の根本的な思想はどこから来ていたのか知ってほしいからです。
アメリカから入ってきたのは、バスという生き物のみならず、「過去の生態系、自然保護」という思想そのものである可能性も高いですね。
そうなれば、最初からアメリカ文化に染めるために日本の水辺が利用されただけなのかもしれません。
○後書き
当初、世界の外来種事例を紹介しようと思っていたら、今の記事の3倍のボリュームになってしまいました。
ですので、ボリュームダウンするために何度も書き直しました。
またの機会に記事にしていきますね。
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