東日本大震災から7年の月日「あの日、石巻で津波を体験した話」



記事を書いている本日で東日本大震災から7年の月日がたちました。

私は当時、大学生で地震当初は宮城県石巻市にいました。

詳細な記憶はあまりの衝撃に断片的になっております・・・

 

高台にいて助かったこと、黒い壁が迫っていたこと、街が水浸しになったこと、仲間ができたこと、冷たい水を我慢しながら歩んだ道路・・・

あまりに断片的すぎて、当日のあやふやな記憶をお伝えするのも申し訳ないので今回は控えさせて頂きます。

ご了承ください。

 

私の当時お世話になった先輩方が津波で亡くなり、また多くの方が津波で犠牲になった日であることは忘れることはないでしょう。

また、知り合いでも現実を受け入れられずに、震災後も精神的に苦しんだ人もいました。

震災後も苦しんでいる方は人の苦しみがわかる素晴らしい感性の持ち主だと感じています。

そんな人の苦しみに寄り添える人を私は尊敬しています。

 

私は、あれからどんな思いで、生きてきたかを考えれば、人生の1つのターニングポイントになったと言えます。

真剣に生きるということに向き合うきっかけになったからです。

 

再建の今

 

当時、津波の影響を受けた岩手県久慈市、釜石市、気仙沼市、石巻市、多賀城市などの多くは人口を密集させたコンパクトシティ化していると言います。

津波などでなくなった場所には新しい高層住宅が立ち並び、お店なども密集する傾向にあるそうです。

そうしたことで、どんどん街がコンパクト化しているんだという印象を受けます。

特に私が当時津波を体験した石巻市では、中心部にマンションや戸建住宅の開発が相次いでいるそうで、どんどん復興の香りが漂っているようです。

嬉しいことに、震災前と現在では人口の数が変わらないという数字もありました。

 

震災後のこうした再建の方法というのは、今後も1つのモデルとなりますし、少子高齢化が進む日本ではこうしたコンパクトシティ化が急務となっています。

そうしたことを考えれば、実はこの三陸地方のコンパクト化という動きは次世代の地方のモデルになることは間違いないかもしれません。

石巻はほとんどが車社会ですが、ご年配の方は歩いている方も多くいらっしゃいます。

これは三陸のどの地域でも起こっていることだと思いますので高齢者が過ごしやい街をつくるためにもコンパクトシティ化というのは良い動きであると個人的に思っています。

そして、こうした動きが街であるということは、土地開発、不動産、建築業界、土建屋にお金がどんどん流れているということですので、経済がよくなっていくのではないでしょうか。

そのため、震災直後の当時とは全く変わった街を見られることになるかもしれないと少しワクワクしています。

 

震災後、私の中の変化

 

さて、現在の三陸の話から私個人の話をさせて頂きます。

私は生まれこそ、石巻ではありませんが石巻市が好きです。

いろんな経験をさせてもらい、いろんな思い出もあるからです。

そして、そんな素晴らしい記憶は震災後に作られたものです。

 

実は、震災前の私はゲーマーでした。

いわゆるネットゲームにノメり込んでいて、大学の講義の間にこっそり家に帰ったりもしましたし、講義がない時間はほぼ全てゲームでした。

ほとんどの時間をそうしたゲームの時間に割り当て、食事は昼に学食、夜はコンビニ弁当か「ほっともっと」という弁当屋で買ったもので済ましていました。

アルバイトもしていませんでしたね。

その後、震災が起き、大学が4ヶ月休校となりました。

親の心配もあり、実家に強制的に帰る運びとなりました。

実家ではゲームはほとんどやりませんでした。

当時のショックで、自分はなんて堕落した生活をしていたのかと考えさせられて、反省し、生きるということに真剣になったからです。

震災で得た一番の学びは、

命は有限であり、一瞬で失われてしまうこともある

「タイムイズマネーではなくタイムイズライフ

であるということです。

そして、自分の貴重な時間をどう過ごすかを真剣に考えるようになりました。

 

自分が本当にしたいことは何なのか・・・

日々、考えました。

その結果、辿りついた答えが「釣り」でした。

それもただの趣味だろ!と突っ込まれそうですが、本当に自分の内なる声に従った結果が釣りだったのです。

石巻に戻り、大学が再開されると、釣りばかりの日々を過ごします。

釣りをしない時間も雑誌、DVDをみて過ごしました。

YouTubeの動画も当時はかなり数は限られていましたが、同じ動画を何度見たかわかりません。

部屋のBGMのように常に何かしらの釣りの動画が流れていました。

そんな釣り漬けの日々を過ごすことになります。

本当に貴重で大事な時期だったと思います。

そして、仲間はもちろん、お世話になった釣具屋さん、自然に対して感謝しています。

 

思い出話になってしまいましたが、震災という大きな経験を経て私は変わることが出来ました。

今こうしてこんな記事を書いているのも、震災後に沸き起こった情熱がそうさせているのです。

 

これからもまだまだしたいことがたくさんあります。

こんな私ですが、これからも有益な情報を発信していきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願い致します。

 

 

最後に

 

マザーテレサの名言を載せておきます。

 

「今、この瞬間幸せでいましょう。それで十分です。その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、他には何もいらないのです。」

 

「昨日は去りました。明日はまだ来ていません。わたしたちにはただ、今日があるのみ。さあ、始めましょう。」

 

 

東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

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